遠見遮断

旧北陸道を三ケから戸破へ向かって進むと、中町の中程。老田家の前で左へほぼ直角に曲折し、さらに久証寺前で鍵の手に右へ折れています。
この曲折は、江戸時代、小杉新町の町立てに際し、敵の攻めに備えるため、加賀藩があえて町並みを屈折させ、遠くを見通せない「遠見遮断」にしたものといわれています。
下条川を渡って、荒町通りのつきあたり、旧杉森商店前の道筋でも見られます。

黒川建設工業(株)

当社は昭和45年頃、土石販売「黒川建材」としてスタートし、昭和51年より土木工事業を、昭和60年に法人化し、現在まで公共工事、民間土木工事を主に行っております。
工事の施工は各法令を遵守し、発注者及び施主様の意向を十分把握して、常により良い物を提供するよう努め、地域に貢献する会社を目指していきたいと考えております。
お近くで工事を施工する際には十分注意致しますが、都合上、道路の規制や重機等の使用にご迷惑をお掛けすることもあると思います。
何卒、ご理解、ご協力をよろしくお願いします。

護国山 金胎寺と秋葉大権現

金胎寺の本堂の天井は、周囲に草木画と菊華紋で飾られ、中央に墨絵の竜眼図が描かれています。
行基作の先手観音・不動尊・羅紗門天(現在は所在不明)の三体があります。
本堂の横には嘉永4年(1851)より秋葉三尺坊大権現を祭ったお堂が再建されており、修験道など山岳信仰・火難除けの神仏として、江戸時代より全国で広く祀られております。
大火に弱いこの地域からも敬われています。

兜山公園

兜山の地は、石坂大地の地続きとなって北端に突出していた。
明治32年小杉駅築造の土盛り、昭和9年国道8号線の土盛り、昭和10年三和繊維工場の建設の際にも丘地が切り崩され、孤立した台地の形状が兜に似ていたことや刀剣類や甲冑等の破片が出土したことから兜山といわれるようになった。
昭和15年町並みが一望できるこの地に樹木500本と花崗岩の忠霊塔が建立された。忠霊塔には日露戦争、太平洋戦争等の戦没者の霊が祀られている。
かつて相撲場があり、町民には眺望に富んだ郊外の散策地として親しまれていた。

うらじろ樫(射水市天然記念物)

射水市の天然記念物に指定されている樹齢役300年余(推定)のうらじろ樫は、旧小杉庁舎から約80m離れた中央図書館西側へ移植されました。
この樹は、もとは由緒ある小杉町の名家の庭で育成し、旧小杉小学校や町役場など、枢要の地を転々としながらも力強く根ざしつづけ、今回で6度目の移植となります。
永きにわたり町勢、そして市勢の動きを眺めてきた唯一の樹である”うらじろ樫”を今後も見守っていきたいのえす。

鷹寺学園・鷹寺福祉会

鷹寺学園・鷹寺福祉会の幼児教育の原点は、戦前”蓮王寺”が行っていた季節託児所にあります。
地域の子供たちを寺院という人が集う場所で預かり、「いのちの大切さ」を教えてながら、人間の基礎となる幼児期がいかに大切かを家庭や地域の中で共に考えてきたことから始まっています。
昭和40年に、鷹寺学園「あおい幼稚園」が設立され、平成19年には鷹寺福祉会「小杉東部保育園」の運営が始まりました。
地域の皆さまと共に、日本の将来を担う子供たちの健全育成を願って日々活動しています。

LETTER(旧小杉郵便局)

大正13年に建てられた荒町の旧小杉郵便局を「失くしたくない」「何とか残せないか」という地域住民の声と、かつてランドスケープ(街の再開発事業)携わっていた永森志希乃さんと相まって「LETTER」が誕生しました。

 

1階には永森さんの「風景と食設計ホー」のオフィスと、雑誌や絵本が並ぶ本居淳一さんの古書店「ひらすま書房」 2階には美術教室を開く樋口裕重子さんの「アトリエセーベー」が同居しており、街並みアートには子供向けワークショップの開催も予定しています。
「手紙のように人と人をつなげて、日常が豊かになる場所にしたい」という願いを込めて名付けられた「LETTER」の今後の活動が楽しみです。