小杉は古くから北陸道の街道筋にあたり、旅人の往来がはげしく、宿場町と重要な位置を占めていました。馬か古来から通行手段の最たるもので、罵倒観音は旅人の守護仏として信仰を集め、心のよりどころとなっていました。
盤持には、石盤持と俵盤持の2種類があり、石盤持は夏の夜涼みがてら青年たちが盤持石という特定の担ぎやすい形をした自然石を力自慢に高くさし上げて力を競いまいた。
(株)織田
当社は、よりよい品質の製品・工事を提供することで、常にお客様に指示されるよう、法令規制を遵守し、効率化を図りながら、技術の向上を目指し、更なる満足を求めて日々努力を続けています。
これからも、「感謝と思いやり」の心で、社業を通して積極的な社会貢献に努めていきます。
空調・給排水衛生設備の設計・施工を行う工事部とガス・油等エネルギー関連ガス事業部とに分かれています。どの事業部も常に新しい可能性にチャレンジしています。
藤井右門廟
藤井右門は勤王の思想を説き、尊皇倒幕、王政復古を願い、大政奉還の実現のため諸国を巡り、運動に身を挺した勤王の志士でである。享保5年(1720)旧小杉町に生まれた。
右門は、ただの勤王の志士というだけでなく幕府の政治の道具に利用されてきた儒学に対し勤王思想の国学を説き、48才で極刑に散った世直しの先駆者であった。
大正6年(1917)百五十年執行。その後毎年命日の8月2日に右門廟前で右門祭が行われている。
遠見遮断
旧北陸道を三ケから戸破へ向かって進むと、中町の中程。老田家の前で左へほぼ直角に曲折し、さらに久証寺前で鍵の手に右へ折れています。
この曲折は、江戸時代、小杉新町の町立てに際し、敵の攻めに備えるため、加賀藩があえて町並みを屈折させ、遠くを見通せない「遠見遮断」にしたものといわれています。
下条川を渡って、荒町通りのつきあたり、旧杉森商店前の道筋でも見られます。
黒川建設工業(株)
当社は昭和45年頃、土石販売「黒川建材」としてスタートし、昭和51年より土木工事業を、昭和60年に法人化し、現在まで公共工事、民間土木工事を主に行っております。
工事の施工は各法令を遵守し、発注者及び施主様の意向を十分把握して、常により良い物を提供するよう努め、地域に貢献する会社を目指していきたいと考えております。
お近くで工事を施工する際には十分注意致しますが、都合上、道路の規制や重機等の使用にご迷惑をお掛けすることもあると思います。
何卒、ご理解、ご協力をよろしくお願いします。
護国山 金胎寺と秋葉大権現
金胎寺の本堂の天井は、周囲に草木画と菊華紋で飾られ、中央に墨絵の竜眼図が描かれています。
行基作の先手観音・不動尊・羅紗門天(現在は所在不明)の三体があります。
本堂の横には嘉永4年(1851)より秋葉三尺坊大権現を祭ったお堂が再建されており、修験道など山岳信仰・火難除けの神仏として、江戸時代より全国で広く祀られております。
大火に弱いこの地域からも敬われています。
兜山公園
兜山の地は、石坂大地の地続きとなって北端に突出していた。
明治32年小杉駅築造の土盛り、昭和9年国道8号線の土盛り、昭和10年三和繊維工場の建設の際にも丘地が切り崩され、孤立した台地の形状が兜に似ていたことや刀剣類や甲冑等の破片が出土したことから兜山といわれるようになった。
昭和15年町並みが一望できるこの地に樹木500本と花崗岩の忠霊塔が建立された。忠霊塔には日露戦争、太平洋戦争等の戦没者の霊が祀られている。
かつて相撲場があり、町民には眺望に富んだ郊外の散策地として親しまれていた。
うらじろ樫(射水市天然記念物)
射水市の天然記念物に指定されている樹齢役300年余(推定)のうらじろ樫は、旧小杉庁舎から約80m離れた中央図書館西側へ移植されました。
この樹は、もとは由緒ある小杉町の名家の庭で育成し、旧小杉小学校や町役場など、枢要の地を転々としながらも力強く根ざしつづけ、今回で6度目の移植となります。
永きにわたり町勢、そして市勢の動きを眺めてきた唯一の樹である”うらじろ樫”を今後も見守っていきたいのえす。
鷹寺学園・鷹寺福祉会
鷹寺学園・鷹寺福祉会の幼児教育の原点は、戦前”蓮王寺”が行っていた季節託児所にあります。
地域の子供たちを寺院という人が集う場所で預かり、「いのちの大切さ」を教えてながら、人間の基礎となる幼児期がいかに大切かを家庭や地域の中で共に考えてきたことから始まっています。
昭和40年に、鷹寺学園「あおい幼稚園」が設立され、平成19年には鷹寺福祉会「小杉東部保育園」の運営が始まりました。
地域の皆さまと共に、日本の将来を担う子供たちの健全育成を願って日々活動しています。
松坂商店
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